ふきげんななめ

ぶちまけてるだけ

人が一人死ぬことの備忘録

初っ端からこんな話題もどうなんだと思うのですが、祖父が亡くなりました。通夜は今夜だというのに、未だにその事実が受け止めきれず、自宅のベッドから動き出すことが出来ません。
医者からヤバイと言われた過去三回とも奇跡の生還を果たしたので、まさか今回に限って、こんな呆気なく死ぬとは。
死因は肺炎をこじらせたということになってるみたいですが、まぁほとんど老衰だと思います。家族が駆けつけるのを待たずに、眠るように死んだとのこと。私も病院に向かう電車の中で、亡くなった報せを受けました。

目と足が不自由な人でした。
鼻先が擦れるくらいの距離にいても、私の顔が認識できない(そのくせ「おまえ美人になったなぁ」とか言い出すボケっぷり)。
目を離すと杖をついてふらふら外に出てしまうので、祖母はもう放っておいていたようですが、私はわりと気が気じゃなかった。遊びに行く道中で、知らない家の玄関前に座り込んでる祖父を見つけ、びっくりすることも何度かありました。祖父いわく「疲れたから休憩」らしい。「おじいちゃんこんなところでなにやってんの!?」と声をかけると「誰だ?」と返ってくる。いや、人様のうちの前に勝手に座り込んでるあんたが誰だよ。

若い時は煙草を酸素のように吸っていて、肉の脂身と甘いものと味の濃いもの、コーンスープやコンソメスープが大好きで、野菜なんか全然食べない超不健康優良児だった祖父も、次の二月で齢90を迎えるはずでした。祖父を見ていると、健康法なんて無意味なんだろうなぁとしみじみ思いました。
しかし、そんな祖父もここ一年は入退院を繰り返していました。胸が苦しい、膝が痛い、食欲がないと言って、どんどん痩せ細っていく様は、見ているのもしんどかったです(実際、仕事やら趣味やらが忙しいと理由つけてあんまり会いに行かなかったのですが)。
だから、亡くなったと聞いたときは、当然物凄く悲しかったのだけれども「あーやっと楽になれたのかなぁ」と思ったりもしました。
でもそれって、遺族の自分勝手な解釈なのかな。
祖父は最後まで「○○が食べたい」「○○に行きたい」と、欲望を丸出しにしていたらしいですから、きっと悔しかったことでしょう。もっと長生きして、おいしいもの食べたかったに違いない。もっといろんなところに行ってみたかっただろう。それを「楽になれた」の一言で済ませてしまうのは、やっぱり勝手だなと。
おじいちゃん、何一つ叶えてあげられなくてごめんなさい。

近しい身内を亡くしたのは、これが初めてでした。
今までで一番近い故人と言えば、曽祖母とか、祖父の兄とか、祖父の姉の旦那とか。身内以外だと、高校の頃の国語の先生。
あまりにも小さい頃の記憶は定かではありませんが、近年亡くした先生のお通夜のときなんかは、わんわん泣いたし、すごく悲しかった。だけど、いずれも何処か他人ごとだったと思います。
祖父の遺体を目の前にしてまず思ったのが「空っぽだ」ということ。眠っているようで、まつげも唇も鼻の穴も、動き出しそうなのに。手を握ると、まだ暖かいのに。中身がすかすかなんですね。私が話しかけたり、触ったりしても、なんにも返ってこない。中身がないから、反発・反応がない。その「中身」が、血なのか内臓なのか、意識なのか魂なのかはよくわかりませんが。
あぁ、もうとっくに飛んでる。この身体にいくら呼び掛けても無駄だ。
悟った瞬間、私は手で顔を覆って泣きました。どれだけここで後悔したって、謝ったって、私の声は届かない。

それからびっくりしたのが、大人たちがやたらと機敏に動いていたこと。
祖母も、父母も、叔父夫妻も、誰も泣いてません。葬儀屋に電話したり、病室の荷物をまとめたり、先生に頭を下げたり、帰って私たちが食べるお弁当を買い出しに行ったり。
嘘でしょ?なんで誰も泣いてないの?悲しくないの?お弁当なんて食べる気になれないんだけど?
私は霊安室で唖然としました。
だけども、ばたばたしながら祖父を家まで連れ帰って、御線香を焚き、手を合わせ一息ついたところで、急激にお腹が空いていることに気がつきました。午後10時を回っていました。夕飯も食べずに駆け回り、号泣していたら、そりゃカロリー消費しますよね。
大人たちはわかっていたのだと思います。こういうときに何が一番大事か。それは食べること。体力を養って、倒れないよう心掛けること(私は、翌日から熱を出して寝込みました)。
一番近い身内の自分たちが、これから目が回るくらい忙しくなること。泣いて悲しむ暇がないこと。とにかくいろんな準備を終わらせなくてはならないこと。
留学中の姉に電話すると、ズビズビ泣きながら「みんな何であんな平然としてるの!?信じられない!!」と怒り心頭。うん、わかる。わかるけどね。
でもね、おじいちゃんに供えるご飯をお茶碗に盛っているとき、おばあちゃん泣いてたんだ。食が細くなって、白米なんてやっと一口しか食べなかった祖父の茶碗に、山盛りお米をよそって「半年分だわ」って憎まれ口叩きながら、鼻を啜っていたよ。悲しくないわけないんだ。

祖父との思い出。
お祭りで買ってきたべっこう飴を「コーヒーにつけると美味い」と言い出し、べちゃべちゃコーヒーに浸しながら2人で食べたこと。すごくお行儀が悪いが確かに美味かった。ちなみにコーヒーに入った砂糖は山盛り4杯。私の甘党は祖父の遺伝だと思う。
庭先に傷付いた雀がいたので、おじいちゃんと手を繋ぎながら鳥籠を買いに行ったこと。保護したけど雀が羽で水やら餌やらをひっくり返し、猛烈に反発されたので結局すぐに逃がした。なんのために買いに行ったのか。
階段を駆け上がっていったら怒鳴られてすごく怒られたこと。そんなにドタバタしていた気はしなかったのだが、何故だかあのときだけやたら怒られた。後にも先にもあんなに怒られたのはあれだけだったような。
おじいちゃんの額にあったイボを押すと「ビー!」っとロボットみたいな声を出して驚かされたこと。最初心臓止まるかと思ったけど、その後ツボにハマって爆笑。おじいちゃんのイボ押しブームが到来。
酔った父が私を怒鳴りつけているところに、静かに仲裁に入ってくれたこと。そのまま家出をして、しばらく置いてほしいと伝えると「いつまでもいなさい」と、ニコニコしながら言ってくれたこと。

亡くなる数日前に遊びに行ったとき、短い時間でしたが、祖父と二人きりで話しが出来たのは幸運だったと思います。
私は父と仲違いして家を出た(ここらへんの話はいつか書けたらいいなと思います)ので、気掛かりだったのでしょうか。「最近、お父さんとはちゃんと話してるか?」と聞かれました。うん、大丈夫。ちゃんと会いに行ってるよ。そう言うと、目を細めて頷いていました。
昨晩は具合が悪く、祖母に添い寝してもらったという話のときには「おばあちゃんにはすごく感謝してるけど、じいちゃん口が悪いからなかなか言えねぇんだ」と、照れ笑い。「そのまま伝えてあげたらいいのに」私が言うと、祖父はにやにやと笑うだけでした。
帰り際、また来るねと手を握ると「またね。また来なさい。きっとだよ」と、やけに念を押されました。今思えば、祖父はなんとなく自分の寿命を察していたのかもしれません。振り返ると、私が帰っていく方角を、見えない目でなんとなく追っている祖父の姿がありました。あれが、最後に見た、動いている祖父でした。

次の日にでも遊びに行けばよかった。お菓子を持って、枕元で話し掛けて、手を握ればよかった。
今年はボーナスが出たから、おいしいもの食べに行こう。おじいちゃんが食べたいもの何でもご馳走するよ。だから早く元気になってね。おじいちゃん、死なないでよ。おじいちゃん、行かないで。
おじいちゃん、ありがとう。おじいちゃん、かわいがってくれて本当にありがとう。おじいちゃん、大好きだよ。